このお話は、もじゃさんが就農する前のお話。農業やろう、と決心するまでのお話です。
序章
小さいころから面白いことが好きで、面白いの宝庫インターネットを手にして2000年代はテキストサイトを読み漁って侍魂や僕の見た秩序、吉田が巨大な物を作ってますよ、探偵ファイルなどに憧れてブログを書き始めました。
あわよくば、超人気ブログになって書籍化とかしないかな―とニヤニヤしていました。
ブログも少しは読んでくれる人がついてくれた頃に、今すっごい社長になっている人からmixiに誘われてインターネット上でのビジネスについて学ぶ機会がありました。
いつでもどこでもできる仕事で稼いで自由な時間を得て好きなことをしたい、当時はとても尖っていたので一般的な会社で仕事するイメージが全然できず、独立志向がかなり強かったです。
そんなわけで、アフィリエイトなどで組織に属することなく自分の好きなように仕事ができることに非常に魅力を感じ、コンテンツビジネスの勉強やマーケティングなどをほんのすこーしかじりました。
しかしながら、とにもかくにも植物が好きでどうしても植物関連の仕事をしたかったのですよ。
仕事に就きたかったと書いていますが、さっきも書きましたが独立志向が強く将来は植物の楽しさをいろんな人に知ってもらいたいので世界中の妖しい植物や植物関連の珍しい書物などを取り扱うお店とか、植物カフェをやりたいなーと思っていました。
まずは経験値を積まなければということで、就職して自分の力を試してみよう。
植物の不思議さにはまっている私は、大学院の博士課程前期まで終了するのだから、
種苗会社で研究開発がしたい!
これまでにない品種を作ってみんなを楽しませたい!
乾燥に強い植物を作って砂漠化を抑えたいという野望もあり、関東圏の主だった種苗会社はエントリーしたのですが軒並みお祈りされまして、どうしても植物に携わる仕事がしたかったので生産の方にも、就職活動を広げました。
三重の自社で苗生産も行う園芸専門店や、広島のキクの生産法人、徳島の苗業者など。。。
応募する企業がなんだかどんどん西へ移っていきます。
農業にもトヨタ式カイゼン方式を取り入れている、海外に勝てる競争力をつける、というキャッチフレーズに惹かれ、ついにはほぼ南端、鹿児島県の胡蝶蘭切花生産法人に応募しました。
縁あってか、運よく、エントリーシートを提出して間もなく社長が東京に出張に行くとのことで、会ってお話しすることができたのです。
自分の大学での研究内容と、植物への想いなどを話したところ、今の農業には新しい考え方が必要だということで気にってもらえて、あれよというまにインターンに行くことになり6月から1週間ほど鹿児島で研修して参りました。
もじゃさん鹿児島へインターシップへ行く
就活と言えばインターンシップですよね、多分に漏れずもじゃさんも内定のために行ってまいりした。
東京から鹿児島へ。
このインターンシップのために急遽AT限定だった免許をMT解除しました。
(6万円以上かかったよ(;´Д`)
農業=軽トラ=MT車ですからね。
研修の期間は1週間で3つある農場での仕事を見て会社の雰囲気と知ってもらうのと、農業と会社への適性を測るものです。
胡蝶蘭の株の植替えをやったり、別商材の出荷のお手伝いをしたり、慣れないことの連続ですが、パートさんや社員の人たちは色々話しかけてきてくれてすごく助かったのを覚えています。
1週間の研究期間は社長宅の階下にある実習生の宿泊部屋に住むことになり、初めての自炊なわけです。段取りとか全然わからずあたふたしまくり。
パスタを水でさらしてみたり、
車で買い出しに行ったら迷子になって帰れなくなりそうだった話は別の機会に。
1週間も会社にいればパートさんとも仲良くなるので、会社の愚痴とかも色々聞くようになります。
そして、研修中パートさんや社員の方から「うちはやめといた方がよいよ」と何度も言われましたが、この時は知る由もなかったのです。
ということで、とんとん拍子で採用が決まり、大学院卒業まで東京の実家暮らしだった世間知らずが、いきなり鹿児島というえらく離れた地で一人暮らしを始めるのでした。
もじゃさん鹿児島で就く
新入社員もじゃさんは、将来植物に関することで独立したかったので、農業と会社の経営の仕方を学ぶという野望と自分の力で会社を良くすることはできるのか、みたいな目標を持っておりました。
インターンシップ中でも感じたことですが、大学で学んだことは現場ではほどんど役に立たなかったので不安だったのを覚えています。
最初のうちは社長に付いて、水やりの仕方や株の見方、生産に必要な心構えを教わりまして、初めて胡蝶蘭を育てることになり生産はなかなか挑戦しがいのあるものだなと感じつつも楽しさの方が勝っておりました。
当然仕事の流れは右も左も分からないし年間の予定なんて全くわかりません。が、扱っている品目の性質上しょうがないのですが、入社1か月目にして地獄の母の日期間に突入するのです。当然、予備知識なしです。
朝5時に本社とは別の農場に出社して数えるのも嫌になるくらいダンボールを組み立てて、聞いたこともない品種の商材の大きなコンテナからピックアップして、ひたすら詰める。
品種によっては箱に入れる前に湿らせた脱脂綿をビニールに包んで切り口に当ててから詰めたり、同じ品種でも10本入り束と25本入り束があったり、見た目はほぼ同じなのに品種が違ったり・・・・
ああああああああああああああああっ
と脳内で叫びながら早朝から夜まで馬車もじゃ、いや、馬車馬のごとく働くのを母の日までの2週間くらい休日なしで働きました。
ちなみに余談ですが、こういうデスマーチ的な物には耐性があり、院生時代40時間稼働8時間睡眠みたいな生活の時期もありました。
地獄の母の日期間も無事に終わり、通常業務再開です。
母の日の打ち上げ的な意味合いもあるのでしょうが、花見と称して出荷場で委託農家さんや全従業員・パートさんが集まってお食事会をするイベントもありました。
社長のありがたいお言葉を聞いて、モショモショとお弁当を食べる会。
なんやねん、と思いましたし、社員のテンションがものすごく低いのです。
このころは何もわからなかったので、ただただ粗相しないようにニコニコしながらそつなくイベントをこなしていたのです。
もじゃさんは胡蝶蘭を育てるのは初めての経験だったのですが、社長の言うことを素直に聞き、わりと筋も良かったのか、早々に温室の管理を任されてビビりながらも3000株くらいある100坪の温室を手入れを楽しんでいました。
ある時は、冷房が壊れて断熱材が飛び散りまくった激熱の温室で、フィルター付きのマスクと上着を着て断熱材の回収と冷房の修理を行ったこともあったり、
倉庫の床板踏み抜いたり、草刈り中に斜面から落っこちたり
それはそれはハートフルな農場生活を送っておったそうな。
もじゃさん、会社内部に違和感を感じる
少し、ほんの少しだけ余裕が出てきたので、日ごろ株の植替えをしているパートさんや花茎を誘引するパートさんにな温室の株の状態を聞いたり、どうやって作業するか教えてもらったりコミュニケーションを取ったり、先輩社員とも色々会社の話を聞いたり管理のコツとか結構充実していました。
そんな感じで、現場にも溶け込んできて、現場の愚痴などもよく聞くようになってくると、「ん?」と思うことが多くなってきます。
- 当時、社長が管理する温室の一株当たりの採花本数より、その他社員が管理する温室で採花本数の方が2割くらい多かった。
- パートさんからも株の状態が良くないとか、社長の言う花茎の誘引の仕方がやりずらく手間がかかるし変な形になるという話を聞くようになる。
- 随時、社長からも生育指導を受けるが、肥料の配合の分量を間違えていたり、一部の状態の悪い株を見て「全体の管理が悪い、水やりの際はもっとたくさん水をかけなさい」と指導をする。
- 一番管理のうまい上司からは、全体の管理状態は概ね問題ないから、状態の悪い株のところだけ葉っぱにこまめに水をかけて養生しようという方針で、しっかり回復する。
- 出荷の花詰めにも携わり、良い花は花保ちが良く、箱に詰めやすい、ことを知る。そして、社長の花は水やりの量が多いため、花がぺらぺらしていて保ちの悪い花が多い、とパートさんから聞く。
- 実際に出荷の際に品質の記録を付けるのですが、秀品率が社長のところはやっぱり低い。
という感じで、社長への不信感を覚えました。
その矢先に事件が起こるのでした。
当時主任だった社員が会社を辞めたのです。
社長に言われたように管理していたのに、
違うそうじゃない!と別のことを言われ
人格否定するような発言を何日も受け耐えきれず辞めてしまいました。
家族経営のワンマン社長にありがちな自分がその時思っていたことはすべて正しい、それについてこいタイプな社長なのです。
以前からこういうことが度々あり、現場ではテンションダダ下がりです。
しかしながら、それでも会社と月日は回っているわけで胡蝶蘭の繁忙期:年末がやってきます。
胡蝶蘭の切花の需要は葬祭用がほとんどです。そのため、市場がお休みになる12月28日~翌1月の切花の初市までの間に使うであろう胡蝶蘭の切花を業者はストックするために需要がマックスまで高まるのです。
なので、28日までの10日間くらいはセリの値段も上がりますし、注文が殺到するため出荷量が増えて休んでいる暇がございません。
のに、社員の水のやり方がわるい、ということで本社の社員を全員集めて水やりについてのレクチャーが始まるのです。
ほら!ここの株が乾いていてシナシナしているだろ、
こんな管理ではぜんぜんなってないよ!
とおっしゃるのですが、そこは植え替えたばかりの株で水をあげない期間の株ですよ。植え替えてからしばらくは水をあげないマニュアルだったはずでは?と現場の社員全員思ったはず。
ずーっとこういう調子なので、社長への認識=厄介者、という認識になっていました。
そのあとは特に大きいイベントもないので、地獄の母の日週間まで時間が飛びます。
もじゃさんの鹿児島 社会人1年目編のまとめ
植物が好きで就職場所を問わず気になる企業に応募しまくった結果、鹿児島に行きついたもじゃさん。
独立志向も強かったことから、農業や経営について学びながら、自分の力で会社を変える、という目標をもって仕事にいそしむのです。
しかし、ワンマン社長の横暴(と当時は思っていた)に不信感をあらわにし、2年目にやらかすのでした。
そう、当時思っていた、というのは経営者を自身も経営し現場とは違う目線に慣れたことで当時を振り返ると、まぁそういうこともあるよね。と理解できるようになりましたのです。
でも、自分の想いを人に伝えることって大事ですよね。
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