もじゃさんの鹿児島でのお話、斜懐人2年目です。
前の話はこちら
→もじゃさんの鹿児島 社会人1年目
さて、年度替わりから社長はアクセル全開です。
もじゃさん、荒ぶる
4月下旬のお話
副社長と言い合いになり、その後の理不尽な叱責と要求に耐え切れなくなり、ストレスで胃に穴が開きそうとか、おいにはもう出けんど、とかなんとかで副社長が休職。
これはいかんと管理職で集まり、専務と中途入社の胡蝶蘭ベテラン現場長で
現場の一切の指揮を取りますから、一ヶ月社長は現場に指示を出さず見ててください。何かあるときは管理職で打ち合わせしてからの専務と主任で現場におろす、と決まったのです。
んで、3日後くらいですかね
社長が専務との打ち合わせをしていたらしく、
温室の環境整備システムの調整で仕様上不可能な項目の追加を指示され、現状不可能である理由ともし追加するならかなりの費用が発生することを説明したところ、
なんでそんなことも君ができないんだ、そんな人間は必要ないと言われまして、そのまま専務は退職してしまいました。
さすがの社長もこれはまずいと思ったらしく、社員全員集めて緊急ミーティングが催されてまして、副社長と専務が辞めた経緯の説明と自己弁護でした。
今、人集めて話すことがそれかい、と。
そして、社長が
組織とはオーケストラで指揮者が社長で楽器隊が社員である。
指揮者の思いをしっかりくみ取って演奏しなければいけない。
そこには個々の奏者とのコミュニケーションが必要で、言いたいことを言わないで腹にためておくから指揮者の想いが反映されないで組織としての統制がとれない状態になっている。
ということらしいです。
まさにそこが出来てないから、というか、社長がが誰の意見も受け入れず独断で突っ走るからこうなってんだろうと、その時のもじゃさんは考えておりました。
その時は外部の人も参加していて、社長から意見を求められたときにこう言っていました。
・オーケストラは誰のものか→お客、そして指揮者も含め全員のもの
では、会社は誰のものか、従業員のものです。
・仕事を任せてフォローするのが管理職の仕事。細かく言い過ぎると逆効果
上は部下の責任を負うのと、部下を成長させるのが主な役目です。
社長の考えを真っ向から否定するような意見で、みんなびっくりしていましたw
で、外部の方の話が終わったら
社長がいそいそと、これでお開きにしようと仕切りだしたので、
これでは社長は全然わかっていない。なんとかせねば。
そう、もじゃさんはこういう時どぎつい爆弾を落とす傾向にあります。
「あーすんません、このままじゃ終われないです」
「さっき、言いたいことをいえない環境が良くないって仰ってましたが何でそうなってると思いますか?」
「腹にたまってる意見を言った人間を社長が受け入れずに否定して貶して追い詰めるからですよ」
「それと、コミュニケーションが取れていないとも仰ってましたがそれは社長が目の前にいる人をちゃんと見てないからです。自分のイメージの中の人をそのまま当てはめて会話してるから双方の声がちゃんと届かないんです、目の前にいる人間を見てないんです。もっとしっかりここにいる人を見て何を思ってるか感じてください」
「みんなどんな顔をして何を思ってると思いますか?いつもと同じミーティングで辟易としてるのが分かりませんか?」
「今の会長の話を聞いていてよしっやろうと思う人がいると思いますか?人の気持ちを無視しないでください。」
と2年目なのにとんでもないこと言うやつです。
これを受けて社長は、最初はなに言うてんねん、みたいな顔をしていましたが、しばらくして「言ってくれてありがとう、今思っていることを一人ひとり言って欲しい」と社員一人一人に意見を聞きだしたのです。
先日決めた社長は現場に出てこない、というのもできていないし、会社がバラバラになっている、というの場概ねの意見でした。中には泣きながらにもう来ないでほしいという人もいました。
そんだけ言われるってどんだけ。。。
で、そのあとは主任以上で会議が行われて色々あったらしいです。
そんなわけで、2年目の地獄の母の日週間の出荷を迎えるわけです。
去年よりは品種の名前や特性を覚えてきているので、出荷もそつなくこなせて箱詰めの内容も少し複雑になってレベルアップした感を感じていました。
その後は、現場で社員さんとパートさんと楽しく過ごしていたのですが、不意の社長指導が入ると、社長のやり方と現場との溝をさらに大きく感じるようになりました。
もじゃさん飛ばされる
まぁ、ほどなくして
全社会議の時に現場には出てこないで主任が指示をすると決まっているのに、
社長が現場に出てきて自分も含めパートさんたちを集めてマニュアルと違う指導をするもんで、現場ではこうで社長のやり方だとこうなるのですが、
どうすればいいですか?とか聞いたり、そのやり方は前回違うと言われたやり方なのですがどっちが正しいですか?とか反論気味に質問したり
社長のやり方から外れた現場のやり方でやるようになると、社長からの好感度が下がりだしまして、閾値以下になった(と思っている)ので、別の農場に移動になりました。
過去にも社長の機嫌を損ねた社員は本社から別の農場に移動になったことが何回もあったことから、なるほどそういうことかーと一人納得して別農場でもしっかりやらせてもらいました。
別農場には社長がたまーにしか来ないから楽しいっちゃ楽しいんですが、その農場では別の品目も胡蝶蘭と一緒に作っており、胡蝶蘭の現場の社員は俺だけだったのでこちらの農場に勤務経験のある先輩社員にどうすればいいんすかーと聞きながら試行錯誤の連続で大変でした。
もじゃさん決意する
このころ、大きな出来事が起きました。
祖父が亡くなったのです。
鹿児島から葬儀に出るために東京に帰ったのですが、会社から祖父の葬儀に使うお花用にと、胡蝶蘭がたくさん送られてきました。
盛花や祭壇にはきれいに胡蝶蘭が飾られ、弔問客や親族に
「胡蝶蘭の切花なんて初めて見たよ、すごいくいいお花で良いお見送りができたよ」
とすごく喜ばれました。
なるほど自分が今やっている仕事はこういう仕事なのか、胡蝶蘭は人の心を動かすすごい力を持っている花なんだと感じ、もっとこの仕事で喜ぶ人を増やしたい、そしてこの花をもっと多くの人に知ってもらいたいとも思いました。
自分の中ではこの時の想いが就農を目指すきっかけにもなっています。
もじゃさん、終わる
そしてまた通常業務に戻るわけですが、たまーに来る社長がパートさんに、花芽の誘引の仕方がなっていないとか、仕事が遅いとか指導していくので、注意されたパートさんがたまに来るやつに何が分かるんじゃーと激怒するわけです。
んで、社長が来ている間はもじゃさん付きっきりになるので自分の仕事ができないので非常に困るのです。
不満も大きくなってきたころに、本社の方では大きな事件が起こるのです。現場でメインだった社員が立て続けに辞めて大変なことになったのです。
母の日の際にもじゃさんが現場と社長の間の不信感をどうにかしてほしいと訴えたことをきっかけに全社員集めて会議が行われ、
社長が現場に出張る回数を減らし、現場の主任や専務と生育状態や出荷の状態をすり合わせて、現場での指導は現場長と専務が行うというようにと一旦は決まったのですが、
長続きせず前にもまして言っていることがすぐ変わったり、生産性が落ちるような指示を出したりパートさんからも苦情が連日のように現場の社員にあげられるようになりました。
現場長がこの前決めた話と違うし、それでは良い花を出荷することができないと意見したところ、そういう考えの人間はいらないと社長が言ったため喧嘩別れになり、その後執拗に叱責や管理方法の否定などを繰り返し耐えられなくなり退職してしまいました。
そして、性懲りもなく同じようなことをして、現場のエース的な先輩社員も社長からBという状態にしてと指示されて調整した管理システムを社長が見て、
どうしてこんな数値になっているんだAにしなさいと指示を出し、それはB変更する前の数値ですし社長からBにするように言われました。と答えたところ、そんなことは言っていない、それは捉え方がなってない、
そんなんじゃいてもいなくても一緒だよっと暴言をはかれたので
これまでのこともあってか不満が爆発してしまい、じゃあ、私はいなくていいですねって帰ってしまいそのまま退職してしまいました。
そうなると、現場で残っている社員はもじゃさんと1年先輩だけで、あとは社長のイエスマンの役員。
立て続けに人が辞め、それまでも、社長のやり方には不満が出ており、何度も全体会議が開かれて方針のすり合わせや、社長への不満を伝えたり、色々おこなわれていたのですが、
直後はちょろっと改善されるものの3日もたてば元通りというか元よりパワーアップして現場を襲うということになっており、当時のもじゃさんのモヤモヤは限界を迎えています。
経営者は会社と従業員を守るはずなのに、
どうして従業員を悲しませ会社を傾けるようなことをするんだろう
こんな経営者は間違っている
と。
で、年末のクッソ忙しい時期に別農場にも今の会社や経営陣に思っていることのヒアリングが全従業員に行われ、思いのたけをぶちまけたところ
翌日、本社に呼ばれ役員勢ぞろいで、君は会社を乗っ取ろうとしていると聞いたが、どういうことか?と聞かれました。
まじかー、そういう風に伝えたのか。
こんなところにお呼ばれしてしまってはしょうがないので、前日話した通りに話しました。
現場で何人も辞めて、パートさんも不安がってるし不満も出てるのに
見向きもせずに、しわ寄せばっかきて
管理職を信頼できないのにどうして従業員一同協力して貴方たちについていけるっていうのでしょうか?
声を上げても聞いてもらえない
上げれば叩き潰される
だったら外の力を借りてユニオンを立ち上げて会社を良くしようと私は考えてます。
社長に対しての不満が現場でたくさん上がっていること、社員から信頼されていないこと、社員が何人も立て続けにやめた原因は社長から言われたことであること、そしてこの状況を変えるには社長が辞めるか現場に出てこなくなることしかない、と伝えたところ、
そういう考えの人は置いておけないということで、即日解雇となりました。
引継ぎもなしに即日とは・・・。
ということで、私の鹿児島社会人ライフは唐突に終わりを告げたのです。
もじゃさん鹿児島編 今思うこと
香取で法人を立ち上げて就農し経営者の立場を経験したから思えることですが、当時の社長の言動も少しは理解できるようになりました。
経営者は孤独なのです、数字と戦いながら会社と従業員を守り理念を達成するのは並大抵のことじゃないですし、事業計画からずれそうな気配を察知したら修正できるようにしないといけないし、私が勤めていた会社は当時で創業20年以上でしたのでそれだけで尊敬なのですよ、本来。
資金繰りの想像を絶する苦しさ
自分のイメージ通りに生産できず売り上げもずれていくもどかしさ
これらを解消するために、いろいろモデルを調べ、打つ手を考え、試行錯誤する。
市場や同業他社、世界情勢などをみて会社がどうやったら良くなるか考え出すといろんなアイディアが浮かんでくるんです。
で、それらを取捨選択してやらなければならないんです。
んでもね、それを想いのままに現場におろすと、見ているところも立場も違うから大きなギャップがあるので全然伝わらないのです。
ほんと、今だからなのですが、経営者にはどんな人にも伝えられる能力か、経営者の意図を正しく汲んでくれる右腕が絶対必要なんですよね。
だから、現場の人だったもじゃさんは会社を変えようと社長を変えようとしましたが、それではダメなんですよね。
なんだったら、もじゃさんの会社に当時の俺のように言うやつがいたら、即日解雇はしませんがその考えではだめだということを諭しますね、マジで。
当時のもじゃさんにアドバイスするなら、まさに潤滑油になれ、ですね。現場と経営者の橋渡しを上手にできれば良かったのかなーと思うのです。
会社の長がこうするんだ、と決断したら、そうするんです。
その決めたことに沿って、組織が従業員が良くなるように社員が頑張るんです。
と今なら思えますw
ということで、鹿児島での社会人期間は2年弱と短かったですが、大変貴重な経験でしたし、友達もできましたし、本当に感謝しかありません。
あとは、とんでもないことをいう社員ですみませんでしたと面と向かって謝る機会があればいいなーと思います。
余談:即日解雇の後で
要するに今日から俺無職なわけですから、レッツフリーダム
友達とフットサル
自宅で酒宴(独りで)
ハーブと野菜の資格の勉強
鹿児島観光
体力づくりのランニング
を思う存分楽しみ、しばらく鹿児島でもいいかなー
と思っていたところに3.11が起きて、実家のことも心配になったので東京に戻ることを決めます。
しかしながら、せっかく九州まで来てただ東京に変えるだけではもったいないので
西日本をふらふら旅をしながら帰ってきました。
農業が中途半端なまま終わってしまうわけにはいかないから、東京に帰ってもどうにかこうにか農業をする道を模索しようと旅の途中で勉強になりそうな農園に行く先々でアポを取って見学しまくったのです。
熊本の大規模観光農園
岡山のハーブ園
広島の薬草園
ちなみに、その時に立ち寄った山口県の苗業者さんの社長のおかげで香取市に農場が見つかり、新規就農ができたので、ものすごくラッキーだったと思いますし、感謝してもきしれないのです。
ハーブや薬草にも興味があり自分で農業やる際にはやってみたい品目でもあり、胡蝶蘭とは違う農業の面を知れてとても勉強にもなったしモチベーションも上がったのを覚えています。
という感じで、鹿児島のお話はこの辺でおしまいです。
時系列的にはもじゃさんの新規就農するまでのお話に繋がります。
→【まとめ】もじゃさんが新規就農するまでのお話
こう振り返ってみると、もじゃさんはなんて運が良い人なんだろうと思います。
人にも環境にも恵まれすぎていてヤバいです。
ですが、この恵まれ過ぎたことが仇となり、独立してから大きな挫折を味わうのでした。
そのお話は近日公開予定でございます。
それまではもじゃさんの妖しい多肉植物の育て方や、
ツイッターでも怪しいつぶやきをご覧くださいませw
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